人は見た目によらない話
中学生の時、不良だと噂の先輩がいた。
何かの委員会で一緒になって、何度か一緒に作業した、様な気がする。
かなり前の話なので、記憶は曖昧である。
少なくとも一度はある。
会話をしたかどうかは記憶にない。
学校祭の最後に、フォークダンスがあった。
円になって、ぐるぐるとパートナーを変えながら男女で踊るやつである。
曲名は覚えてない。
私はやる気がなかった。
手をつなごうという気もないくらい、何だかやる気がなかったのである。
相手の方には大変失礼な話だ。
その年、好きな人や憧れている人がいなかったのかもしれない。
ぐるぐる回るうち、不良と噂の先輩と踊る番が来た。
私は相変わらずやる気がなかった。
相手もやる気がないだろうと、思っていた。
「お前やる気なさすぎだろ」
と笑われた。
そうして何となく促されて、フォークダンスを踊った。
この先輩のほうがよほど真面目に学校行事やろうとしている、と思ったのを覚えている。
低い声と大きな体格、確かに怖そうなイメージはあった。
私はスカートもあまり短くしてない、眼鏡の優等生風で。
人は見た目によらないな、という話。
過去と未来をつなぐ
私は中学生くらいから文章を書いている。
中学生のころは、詩や短編小説を書いていた。
高校生になっても書いていた。
大学生になっても書いていた。
友達の中で流行っていたので、サイトも作った。
そこに文章をのせていた。
mixiもやっていた。
社会に出る時、文章を書いていれば私は私でいられるんじゃないかなと思った。
書くペースはがくんと落ち。
いつしかサイトはなくなり(無料の物だったので、サービスが終了してしまった)
その中の日記として機能していたブログもなくなり。
mixiも段々みんなが見なくなるので、私も見なくなり…。
結婚して子どもが産まれて、時々文章は書いていたけど、誰に見せるでもなく。
趣味のようになっていた。
そして今、文章で収入を得ようとしている。
そのためにチャレンジしている。
勉強をしている。
私はずっと、文章と生きていきたい。
今、これからの人生で今が一番若い時。
過去と未来をつなぐ。
過去と未来をつむぐ。
すべて糧になる。
掘り起こせば、手を伸ばせば、羽ばたかせれば、繋がる。
私は今、まだまだだと知っている。
「まだまだ」は「これから」だ。
表現について
先日、表現はどこかで加害であるというような記事を見かけた。
興味深く読んだのだが、もう一度読もうと思ったら探せない。
残念である。
分かるような気がする、と思った。
かわいい動物の写真を見ても、自分の状況が荒んでいればなんだこんなもの、となる可能性はある。
その時どこかでかわいいと思えない自分に、傷ついている可能性はありそうだ。
恵まれない子どもの写真、なんてかわいそうと平和な場所にいるだけの自分を省みる。
それはそれで傷ついていると言えそうだ。
表現はどこかで人を傷つけている、のかもしれない。
受け取る側との状況の乖離とか、心当たりとか、そういうものに左右されそうだ。
強い言葉は、人にストレスを与えるのだそうだ。
これにもまた同種のものがある気がする。
ということは、この文章を書いている私もまた、誰かを傷つけているのかもしれない。
多分実生活でも、多くの人を傷つけ、また自分も傷ついて生きているのだろう。
大人になるにつれ、特にここ最近。
人を責める気持ちは起きにくくなった。
それぞれの事情と立場で、仕方ないことがあると経験したからなんだろう。
だから、省みるのは自分になった。
大抵のことは自分の未熟さが招いているな、と思う。
そして周りの人には感謝するばかりだ。
すべてのことが繋がっている。
この先もっと周りの人に感謝したくなる生き方がしたいと思うのである。
お金配りさん
Xには「お金配りさん」と呼ばれる人たちが存在する。
特徴としては
・大抵きれいなお姉さんのアイコン
・事業で成功しました!
・資産を分配します
・ほしい人はDMください
みたいな感じ。
借金生活からの大逆転パターンもある。
大体ポストはないアカウント。
フォローしてくれて、いいねくれたりする。
血の通ったコメント等はくれない。
念のため言っておくと多分間違いなく詐欺なので、ひっかからないでね。
ある日ふと気が付いた。
真面目に何かについて語っているポストより、〇〇が好き~みたいな短文、あまり中身のないポストにお金配りさんのいいねが多いことを。
(もしや、お金配りさんも人だから、あまり真面目なポストには後ろめたくていいねしない?)
なんて思ってみたわけで。
ところが後日ね、気が付いた。
真面目なのにもガンガンくるやん。
あ、と思った。
(いいねが少ないポストを狙うお金配り上級者と、何でもいいからいいねしとけなお金配り初心者がいるんじゃないか?)
なるほど。
どこの世界もあまり変わらないんだな、という話。
人間だもの。
真っ当に努力したいなぁ。
猫を被る
誰か、猫の被り方を教えてほしい。
私は猫を被れない。
自分を出す、出さないようにする(できるだけ喋らない)の2択である。
猫を被るってどういうことを言うの?
みんな北島マヤなの?
場にふさわしい対応は分かる。
どんなに楽しいことがあっても、葬儀の場で笑わない。
少なくともその努力は最大限する。
お腹も鳴らさないようにする。
手の親指と人差し指の間にお腹が鳴らないツボがあると聞いたので、鳴りそうだとそこを押している。
本当かどうかは知らないが、効果があるような気はする。
ただ、他にもこれを知っている人がその場にいると、あの人お腹鳴りそうなのねということは丸わかりである。
猫を被る、の感覚が分からない。
分からないのだから、もしかしたら知らぬ間に被っているのかもしれない。
誰か言語化できる人がいたら、是非猫を被る感覚を教えてほしい。
果たして私は被っているのか、いないのか。
理解したいのである。
久しぶりの更新です
しばらく間が空きました、ご無沙汰しております。
もしくははじめまして?
ラグビーの話を書いていて、W杯終わったらめっきり書かなくなったなコイツ、だと思うのですがその通りで。
今日はこの後私の夢物語なので読まなくて大丈夫です。
前はラグビーの事色々調べて、時間をかけて、書いていました。
ここで書かない間に、違うブログを始めました。
色々試行錯誤中です。
今後はここはタイトル通り、ラグビーだけじゃなく趣味や本の話とか自分の話とかすると思います。
ラグビー好きです。
そこに嘘はないです。
ただ、普段から表をつけるほど好きかと言うと、そこまでではありません(笑)
「日本」だから、南半球のシーズンと被らないから、ラグビー界のスーパースターと言って良い選手たちがリーグワンでプレーする。
今はそれに日本人が色めき立つけれども、この状況が当たり前になって、日本のラグビー力の底上げになればいいと思っています。
そして人材、実力ともに世界一のリーグは日本、ってなってほしいぐらいに思っています。
そううまくいかないよ、と思われるでしょう。
私も思うよ。
でもそうなってほしいとも本気で思ってる。
なんでかわかんないけど、ラグビー好きな人たちのラグビーへの熱量は何かベクトルが違うんだ。
好きなチーム応援したいとかじゃないんだ、ラグビーをメジャーなものに、とか。
日本のラグビーを変えるんだみたいな熱量がさ、すごいと思うんだ。
ラグビー愛しすぎでしょ、と思う。
ラグビー観ながら美味しい酒飲みたいとかじゃないんだよ、座して待て感。
家でも応援グッズとユニフォーム必須、みたいなさ。
だから思っちゃう、みんなのその愛報われてって。
その最終形が「リーグワンは世界一」じゃない?って。
世界レベルの試合に参加できない、と嘆くより日本を世界最高レベルに。
そしたら日本人ラグビー選手の力だってメキメキ上がるでしょうよ。
無茶言ってる。
夢物語かもしれないけど。
そうなったらいいって、思わない?
外国人多いとかそんなこと言ってる場合じゃなくない?
『日本代表になりたい』って世界各国から来るとしたら、こんなすごいことなくない?
と、私は思ってます!
おわり~!
しばらくラグビーネタは離れて、他の事書くと思います~!
読んでいただいてありがとうございましたっ!
ちょっと荒唐無稽すぎるかなって思ったけど書いちゃったわ。